戦争

これを書いている現在、平成16年11月。
もっともよくメディアでとりあげられている戦争といえばイラク戦争でしょう。
テレビによると「ベトナム戦争以来の惨劇がおこるであろう」との見方だそうです。
ベトナム戦争といえば(諸説ありますがもっとも期間の長いもので)1954〜1975年もの間、ベトナムとアメリカとが主として繰り広げた戦争です。
細かいことは省きますが、その要因は「民族統一国家の提示」です。それをアメリカが拒否し「民族分断国家」建設の後押しをしたことで起こりました。

戦争は熾烈を極め、やがて泥沼化し戦地は市街戦にもちこまれ……
その傷跡は今もなお現地の人々を苦しめ、縛り付け、消すことの許されない澱となっています。
そして今回の戦争。
同じように市街戦が主な舞台。
私の記憶違いでなければ、アメリカ政府は記者の「市街戦が予想されていますが?」という質問に対して
「アメリカ軍は市街戦に長けているので"被害は押さえることができる"」
といいました。(確かラジオのニュースで)
"被害は押さえることができる"というのは「市民に?」それとも「兵士に?」でしょうか。
仮に「市民に?」ということだったとしましょう。
それは

一般市民に被害がでることを国として容認しているということです。

確かに、戦争で市民に被害がでないなんてことはありえません。
しかし、それを当然のことのように思っていいはずがありません。
ましてや公然の場で認めていいはずがありません。
このイラク戦争は「民族紛争」でも「宗教戦争」でもありません。
国のお偉方のメンツとテロリストの信念の争いだったはずです。
一般市民はこの戦争を望んでも、認めてもいないのです。
何の関係も関連もない一般市民が、全世界から比べればほんの一握りの傲慢な人間が抱いた見当違いな誇りのせいで尊い命を落としていいはずがないのです……

思想の違いは絶対的な壁を生みます。
ですが、それを無理矢理その壁を傍若無人に破壊して相手を浸食する必要などどこにもないのではないでしょうか?
彼らが「世界の平和」を口にするたびに 
反吐 がでます。(汚い言葉を使ってしまい申し訳ありません)
「自ら血の海に手を突っ込み、哀しみと悲鳴を踏みつぶすような人間がなにをいってやがる」
正直そんな感想しか持てません。
そしてそれに唾を吐くことしかできない、しない自分にもイラだつばかりです。
争うことで得るものはいったいなんなのでしょう?
そうまでして彼らはなにを欲しているというのでしょう?
何故、心穏やかに過ごすことを求めないのでしょう……

ただいまは、祈ることしかできません。
犠牲者が少しでも少なくて済むようにと……
早くこの無意味な戦争が終わってくれるようにと……

人はこれほどまでに生きることに執着して、様々なことを学んで実践してきているというのに、どうして「戦争」から学び、実践をしようとしないのでしょう……
政治は確かに正論だけでは成立しません。
ですが、一瞬で人の命が奪われていく戦争に、真っ向からぶつかり、正論を押し通すことができなければ、この世界から戦争は永遠になくならないのだと

雨音がやけに大きく聞こえる夜に思った話……