つながり
「つながり」
これには二通りあると思います。
「縦のつながり」と「横のつながり」
前者は組織内での上下関係だったり社会でのクライアントと受注業者などの関係がそれにあたるでしょうか。
後者は友人関係だったり、知人の知人など、好意のもとに気づかれた関係といえるでしょうか。
人が何かをするにあたって重要視されるのはどちらでしょうか?
答えは”どちらも重要”。
一見横のつながりが重要なようにも思えますが、いくらつながりの輪がひろくてもそれをきちんと統率する人間がいなければ意見の統合ができませんし、指針も定まりません。
かといって縦のつながりばかり強調されてもそれでは抑圧された関係が築かれるだけで新たな発想を正しく評価することはできないでしょう。
ある新しい何かを形作るためには立案者と実行者と統率者と協力者、これらのバランスをうまくとらなければなりません
さて、この四者の中で決定権があるのは当然統率者です。しかし統率者が一番偉いわけではありません。
なぜならこの四者はそれぞれの役割は決まっていますが、たとえば実行者が企画へ口をだしてはいけないわけではないですし、立案者が発言しっぱなしではだれもその意見に賛同することはないでしょう。協力者もまた同じく、助力をするだけでいいのなら誰でもいいのですからそれだけにとどまるのは怠け以外の何者でもありません。統率者も書類にハンコを押すだけならサルでもできるわけですからそれでは誰一人としてその人の下につくことはないでしょう。
縦であれ横であれ、二次元的なつながりでは先は簡単にみえます。
縦と横のそれぞれを大事にすることで奥行きのある、三次元的なものが生まれます。
それが「深みのあるもの」ということなのです。
それぞれの立場を自覚しつつもときにお互いの立場、目線にたって物事を考える。それが発展という言葉を生むのだと最近の私は思います。
よく「上の人間は現場のことをわかってない」とか「責任ある立場の重圧」ということを聞きますが、それはお互いの領分を侵すことはタブーだと勘違いしているからに他なりません。
文句いう前に相手のしていることをよくみることが大事なのではないでしょうか?
それが己を省みることにもなりますし、新しいことに気づくきっかけになるはずです。
つながるためには相手が手をさしだすだけでは駄目です。自分からも手をさしださなければつながることはできません。
相手が投げたボールを投げ返すにはまず自分でグローブを前に出さなければなりません。
横断歩道を渡るにはまず車が停まらなければなりませんし、逆に車が通るには歩行者が道をあけなければなりません。
どちらかが、誰かが偉いのではない。
それぞれを思いやることがスムーズな往来を生み、行き詰ったときに互いによい方法を考えることでさらによい結果が生まれるのです。
「つながり」とは「思いやり」の先にあるものなのではないでしょうか?
自分ひとりが良いと思ったことが必ずしも誰かにとって良いとは限らない。
そんなことをここ上半期からの身の回りで感じて思わず書いてみた夜……