茜色の葉書

 大学進学のための引っ越しの日、僕は一枚の葉書に出逢った。

『前略
  京介様、いかがお過ごしでしょうか?
  近々そちらに帰れることになりました。
  もし、よろしければ夕凪ヶ浜でお会いしたいです。
  日にちは三月一日。
  きてください。
               弓華より  かしこ』


 ちなみに僕の名前は涼だから、僕当ての手紙ではないことは確かだし、そもそも引っ越したばかりの僕宛てに葉書がくるはずがない。
 と、そこまで考えてから、ふと葉書の内容を思い出す。
「三月一日、って、今日じゃないか!」
 葉書を後ろポケットに突っ込み、僕は夕凪ヶ浜目指して部屋を飛び出した。
 そして、僕は彼女に出逢った……。

「この辺り、だよな……」
 地図と道とを見比べながら、一人歩く姿は、はたから見ると結構間抜けかもしれない。
(卒業早々なにやってんだろ、僕)
 浜に向かう道がいまの道で間違いないことを確認し、地図を後ろポケットに突っ込む。
 そこには一枚の葉書。
 暇だからって、郵便受けなんて開けるんじゃなかったと、いまさらながらに思う。
 ちょっと目を通し、ふたたび葉書をポケットに入れ……――
 ふと、何か変な感じがした。どう変かと聞かれたら困るけど……とにかく、妙な違和感みたいなものが、モヤモヤ、っと頭の中に浮かんで消えない。
 その、モヤモヤ、が晴れるよりも先に、目的地の夕凪ヶ浜は僕の前に姿を現した。
 さすがに三月の海にくるような変わり者はいないらしく、辺りに人気はまったくない。
 おかげで彼女をすぐに見つけることができた。すぐに見つけたのだけれど……。
 それはとても不思議な光景だった……。
 誰もいない砂浜で独りたたずむ少女。暮れていく夕陽が落とす哀しげな影。ゆったりとした白地のスカートが茜色に染まって浜風になびき、肩より少し下にまで伸びた髪と優雅にワルツを踊っていた。
 僕は少しの間、その後ろ姿に見入っていたけれど、どこからか聞こえてきた海鳥の声に、ハッ、として、少しばかり大袈裟に足音を立てるようにして彼女に近付いた。
「京介!」
 ふいに、パッ、と彼女が振り向く。
 その瞳の端にうっすらと滲んだ涙。
「あ、あの……」
 お約束な自分の反応に心の中で苦笑しつつ、僕は彼女に話しかけ、
「あ!? ちょ、ちょっと!」
 彼女は口元を押さえながらその場を去ろうと歩き出した。
「ゆ、弓華さん、待って!」
 その言葉に、ハッ、として彼女は足を止め、驚きの表情で僕を振り返った。
「どうしてあなたが、わたしの名前……」
「あ!? あの、これ」
 驚きと警戒を表す彼女に僕は慌てて葉書を取り出し、彼女に渡した。
「そん、な……どうしてあなたがこれを!?」
 力なく膝をつき、葉書を握り締めながらすがりつくように訴えかける彼女に、僕はどうしてここにきたかを説明した。
「そんな……」
「プライベートなことだから、どうしようかと思ったんだけど、日時が今日だったから。教えなきゃ、って思って……」
 無言で座り込む彼女の姿が見ていられなくなって僕は目を逸らし、海へと視線を向けた。 茜色の世界、静寂と形にならない想いが漂う空間。
 ふと、心の中で、何かが動いた。
 けれどそれはすぐになくなり、僕は何か声をかけようと彼女に向き直り、
「あれ?」
 そこに彼女はいなかった。
 視線を外していたうちにどこかにいってしまったのだろうか。まあそれも無理のないことかもしれない。随分と落ち込んでいたみたいだから。
(もっとも、そんな心配をしても仕方ないか、他人の僕が……)
 僕はマンションに向かって歩き出した。
『他人』という響きにどことなく寂しさを感じながら。

 三月の夜はまだまだ早くやってくる。マンションに着く頃にはすっかり陽は暮れ、通りの家々からは美味しそうな匂いが風に乗って耳と鼻とを楽しませてくれていた。
 と、マンションのロビーに入ると、どこかで聞いた声が管理人室から聞こえてきた。
「すみません。ありがとうございました」
 丁寧にお辞儀をしながら管理人室から出てきたのは、砂浜の彼女だった。
 彼女は僕に気が付くと、口元に笑みを浮かべ、軽く会釈をした。
 僕は同じように頭を下げると、彼女にせっかくだから部屋に上がらないか、と勧めた。
 間違っても下心があったワケじゃない。ただ、そのときの彼女の笑みがとても頼りなかったから……まるで脆いガラスのように。
 窓際の壁に置かれた段ボール箱とコーヒーを飲むためのいくつかのキャンプ用品以外、何もない部屋。静寂をやぶるアイテムはコーヒーをすする音以外、いまのところない。
 沈黙は苦手じゃなかったけれど、このまま朝までこうしてても仕方ないので、僕は一口も口をつけていない冷めきった彼女のコーヒーにチラリと目をやって、話しかけた。
「どうして、ここに?」
「京介のいまの住所を調べようと思って」
 なんでもこういったところ――マンションとかアパートといった類いのところ――は、今回みたいな先住者宛ての郵便物などが届いたりしたときのために引っ越し先の住所を控えておくのだそうだ。
「それで、わかったの? その、京介って人の住所」
 すると彼女は膝の上に置いた拳を、キュッ、と握り、唇を噛んだ。
「もしかして、わかんなかったとか……」
 頭を横に振る彼女。
「わかったんだけど、場所が、遠くて……」
 彼女に住所を聞くと、ここから電車で半日以上もかかるところだった。
「わたしてっきり京介がまだここに住んでると思ってたからそんなところまで行くお金なんて持ってないし、それに時間も……」
「時間、って?」
 しかし彼女は俯き、肩を震わせたまま、僕の問いには答えなかった。
 また、沈黙が殺風景な部屋にやってきた。
「どうするの? これから……」
 返ってこない答え。そして、沈黙……。
 目の前の少女は俯き、ただひたすらに沈黙を続ける。まるで言葉を、話すことを、忘れてしまったかのように……。
 フッ、と瞳を閉じてしまうと、あの砂浜のときのように、また消えてしまう、そんな気がした。
 結局のところは他人事。いろいろと知ってはしまったけれど、無関係を決め込もうとすれば、できないワケじゃない。まあ、いますぐに追い出すつもりはないけれど。
――でも……。
 僕は他人と関わるのが好きじゃない。
 なぜかって? それは……。
「……手伝おっか? その人、探すの」
 こんなことをいってしまうから。
「え!? でも……」
「ここまで事情知っちゃったら、ほっとけないよ。お金は僕が貸してあげるから」
 そのお金は当面の生活費。家賃込みのヤツ。どれだけ数え直しても、他人に貸すことができるほどの余裕は、ない。これっぽっちも。
 それでも口から吐き出される言葉はそんな感じだ。
――いつも、いつも……。
 なにかにつけて僕は”いいこちゃん“を演じる。
 他人にいいように見られたいから、というのとは少し違う。僕が演じる理由は、
――傷つきたくない……、
 からだ……。
――他人に拒まれるのが怖い……。
――嫌われたくない……。
――独りになりたくない……。
 付き合いが永くなれば永くなるほど、その想いは強くなっていく。自分の昔を知っている者ほど。
 他人に干渉されることが好きではないくせに、他人の目ばかり気にしている自分。
 だから僕はここにきたのかもしれない。
――自分を知らない……真っ白な、この土地へと……。
「いこう」
 僕らは旅立った。
 彼女は京介という人に会うために。
 僕は”いいひと“であるために……。
 陽はとうに暮れ、空には名も知らぬ星が瞬いていた。


next→